16th
残念ながら、日本人は奴隷としては最高級に優秀だ。
どんなに嫌な職場でも限界が来るまで辞めないで頑張る。
なぜなら、転職しても給料は落ちる方が多いし、
年齢や能力によって転職が簡単ではなくなるから。
さらに仕事辞めたらセーフティネットがほぼないため、
死ぬしかない。つまり、転落はかなり容易で、這い上がるのは
かなりの難易度。この恐怖から逃れるために、
多くの優秀な日本人は今日も耐え続ける。
(nunnungogoから)
三、「できない」のは雇用側のせい、恥じるな。
目的を達成するための適切な方法と、それに向かって邁進するモチベーションを用意するのは雇用側の仕事です。交通費は支給されて当然と思っているのに、「やる気」「方法」はコッチ持ちなんておかしくないですか。「できない」のは労働者の責任ではない。「最初からできる」ヤツを見極められなかった雇用側の失着です。「できないヤツをできるようにする」ことが出来なかった雇用側の失着です。スカウティング部門と育成部門の失敗です。
美と法は別のもので、美と善も別のもの。「美とは何か?」、ある規範や価値観に対して様々なことを問いかける芸術は、時にピンポンダッシュのように、内側にいる人に外側から迷惑行為のようなアクションを起こすこともあります。それを不愉快に思う人がいることも当然ですし、現行の法に反していれば法によって裁かれます。だから、「芸術家が人権を侵害することはある、ただし法の元では裁かれる」というのが私の見解です。「法の下で裁かれたとしても芸術家が人権を侵害することは許されてはならない。芸術家が表現によって人権を侵害するのを予防しよう」ということを法側が発想することは理解できますが、「法に与しないものは美ではない、芸術ではない」というのは違います。美と法は別のものであり、美は法によって生まれるものではないからです。
「人権を侵害し得る芸術家は危険なので、美として評価するのをやめましょう。政治的に正しいものだけを美術と呼びましょう!」というような発想に与することこそ、美の堕落であり、「なにをするかわからない、世の中の役にもたたなそうなヤツが得をしたり目立とうとすることが許せない」という「アートフォビア」に与することですらあります。
ジェンダースタディーズ的な視点から美術を読み解くことと、ジェンダースタディーズ的な視点にそぐわない美術を抹消することは違います。ジェンダースタディーズ的な作品を守るためにも、そうでない作品を守ることは必要なのです。
(元記事: mess-y.com (ashitatsuから))